周囲の人に病気を理解してもらうことが働きやすい環境づくりの一歩

小林由美子さん(病名:びまん性大細胞型B細胞リンパ腫)

2023/09/14     

家庭や仕事などで、慌ただしくも充実した日々。そんな日常生活が、病気の発覚によって変わってしまうことがあります。2019年に悪性リンパ腫の一種であるびまん性大細胞型B細胞リンパ腫が発覚した小林由美子さんもそのおひとりです。ハードな業務を積極的に行っていた生活が一変し、現在はご自分の体調や体力に合わせて仕事を行っています。そこには、どのような気持ちの変化があったのかをお伺いしました。

突然告げられた大病に戸惑いつつ
忙しい毎日の終わりに安堵感も

責任のあるポジションを任され、忙しい毎日を過ごしていた小林さん。びまん性大細胞型B細胞リンパ腫がわかったきっかけとなったのは、会社の健康診断でした。乳房に左右差があり、さらにマンモグラフィ検査で病気の判断がつきにくい高濃度乳腺だとわかり「念のため、乳腺外科で検査を」と勧められたそうです。すぐに専門医のいるクリニックの予約を取りましたが、2~3週間後には自分でも乳房の左右差がはっきりとわかるようになっていたそうです。クリニックではエコーとマンモグラフィ、内診が行われ、良性の肉腫または炎症性の乳がん、悪性リンパ腫のいずれかという診断がくだり、すぐに大学病院へ行くようにと紹介状を渡されました。会社の健康診断から、わずか1ヶ月後のことでした。

「大学病院へ行くまでの数日間、自分でもインターネットでそれぞれの病気を検索してみました。良性のものであれば問題はありませんが、炎症性乳がんは難しい病気だと知り、悪性リンパ腫に至っては種類がありすぎて調べきれませんでした」。

大学病院でも改めてマンモグラフィが行われ、その後、生検とMRI検査を経て、2週間後にはびまん性大細胞型B細胞リンパ腫の確定診断が出ました。

「乳腺外科で確定診断を聞いてから、わずか2日後には同じ大学病院の血液内科の初診を受けることができました。その日に細胞診、翌日には院内でPET検査があり、さらに次の日は金曜日だったにも関わらず主治医の先生から電話をいただき、土曜日からの入院を勧められました。検査にしても、入院にしても、かなり急な調整をしていただいたようです。でも、どうしても会社で引継ぎが必要だったため、その電話でできる限りの話を伺い、月曜日からの入院にさせてもらいました。その時は、一日でそんなに変わるものなのかなと呑気に考えていたのです」。

確定診断直後は、ショックや悲しみなどを感じることはほとんどなかったという小林さん。もちろん平常心だった訳ではなく、「感情がブロックされたような感覚」だったそうです。

「不謹慎だとは思いますが、入院直後に、これで少し仕事を休んでゆっくりできるなと考えていました。ただ、治療が大変なのはわかっていたので、復職しても同じポジションで同じように仕事をすることは難しいだろうと理解していました」。

初発の治療後わずか4カ月で再発し
新しい生き方を考え始めました

入院して、すぐに薬物療法が始まりました。治療は数カ月にわたりましたが、経過は順調で寛解することができました。それから4ヶ月ほど経過し、そろそろ復職をと考え始めたころに、またもや体調に異変が起こります。

「最初は肩が凝るな、右手が上がりにくいなといった程度だったのですが、1ヶ月経つとパソコンのキーボードが打ちにくいと感じるようになりました。さらに2~3週間経つと、歩いていると、その振動で右肩に痛みが走るようになりました」。

残念なことに、右肩のリンパ節に転移が見つかったため、すぐに再入院し、治療を開始しました。再発時は、約3ヶ月間の抗がん剤による薬物治療に加え、大量化学療法併用自家造血幹細胞移植を行い、約5ヶ月間の入院が必要でした。もちろん、計画していた復職も一度白紙になってしまいました。

「仮に復職できていたとしても、治療で体力がなくなっていたので、就業時間中に座っているだけで精一杯だったと思います。無理に復帰しなくてよかったのかもしれません」。

再発後は一度気持ちをリセットして、これからの人生や仕事について考えるようになったという小林さん。

「予後不良のデータもあり、それらは気分のいいものではありませんが、あまりネガティブにならないように気をつけています。今後のことについては、仕事も人生も以前の状態に戻すのではなく、病気という個性を抱えて、どうやって新しい生き方をしていけばいいのかを模索しています」。

周りの人に理解をしてもらうために
自分の話は包み隠さず話しています

2度の治療を経て、小林さんは寛解状態を維持し、無事に復職を果たしました。

「小さなアットホームな会社だったので、温かく迎え入れてくれました。元の仕事をこなす体力がなかったので、以前に比べたら落ち着いたペースで仕事ができる部署で働いています」。

ちょうど新型コロナウイルスが拡大していた時期だったことと重なり、感染症予防のためのマスクを着用していても違和感がなく、さらに在宅勤務の環境が整ったこともあり、復職は比較的スムーズに果たせました。それでも復職後2年間は、戸惑いの連続だったと言います。

「休職中に起こった変化を知らないまま復職したので、仕様などが変わっていて、それらを覚えるだけで精一杯でした。復職直後は体調が戻らず、通常の業務でさえ辛く感じることもあったのですが、周りの人は『治った』と思うようです。大丈夫かどうかピンポイントで尋ねられれば、『大丈夫です』と答えてしまうので、病気からの復職者には定期的な面談で、その都度その時の状況を丁寧に聞いてもらえる制度があるといいのですが」。

復職して3年目の現在、ようやく仕事をする体力がついてペースもつかめてきましたが、それまでは体調が戻らず会社を辞めたいと悩んだこともありました。しかし、今後の生活や治療の可能性を考えると、働けるうちは働かなければと自分自身を奮い立たせたそうです。今、小林さんは、会社でも病気のことを隠さずにオープンに話しています。その理由は、自分の状況を周囲の人に理解してもらい、無理なく働ける環境を作りたいと考えているからです。見た目からはわからない病気だということを踏まえて、自分から話をすることで理解を得るようにしています。

「もちろん病気を知られたくないという人もいるでしょう。でも、がんは治る病気になりつつありますし、理解してもらう努力も必要だと思うのです。病気のことを伝えていなければ、ただ『よく休む人』だと思われてしまうかもしれません。治療で休まなければならない期間があっても、周囲の理解があれば仕事は続けられます。そういう多様性を認める社会に変わらなければならない時代ですし、会社や働き方もどんどん変化していくでしょう。私も復職経験者として、同じように病気を持った周囲の人をサポートできるようになりたいですね」。